みなさんこんにちは

マサトです。

 

みなさんは、人間関係で悩んでいることなどは無いでしょうか。

・家族内でのコミュニケーション

・学校、職場での関係

・あなたが所属しているグループでの気を許せる仲間との関係づくり

人間は生きているだけで、何らかのストレスにさらされています。

そして、そのストレスをプラスにとれるか、マイナスに感じてしまうかで

人生の幸せ度数が変わってきます。

 

今回は、アドラー心理学から

人間関係で一生悩まない3つのマインドセットとして

厳選しましたので、ご紹介いたします!^^

 

アドラー心理学は、本当に人生に取り入れるだけで

対人関係、集団の中での身の置き方など、

今日からすぐに使える気の持ち方ですので

是非、参考にして、試してみてくださいね。

ちょっととらえ方にハードルが

高いところもありますが、人間なら、だれでもできます^^

 

 

トラウマは存在しない

アドラー心理学で有名な一つとして

「目的論」

を推奨します。

目的論の反対は、結果論です。

一般的に、トラウマと言われるものですが

アドラーはトラウマを否定します。

まず、結果論とは

あの時の心の傷のせいで、これからの行動ができない、というもの。

 

例えば、私は一人っ子だから、内気な性格、だから

人とコミュニケーションをとるのが難しい。

という人がいるとします。

これは、

「一人っ子と」いう原因があって、そのために、

「コミュニケーションが苦手」という結果を招いているという考え方です。

 

ですが、アドラーはこれを真っ向から否定します。

目的論の登場です。

これは、コミュニケーションが苦手なのではなく、

相手と話をしたときに、嫌われるのが怖い、そのリスクを避けたい

という目的があるから、

一人っ子という原因を理由にしている、という訳です。

 

もう一つ、例をみてみましょう。

私は親から虐待されていた、自分は愛されたことが無い。

だから、好きな人もできない。

という強烈なトラウマを持っている人もいるでしょう。

これに関しても、

好きな人ができると、もしかしたら告白したときに

フラれるかもしれない。

フラれて傷つくのが嫌だ、そんなリスクは回避したい。

という目的のために

「親に虐待された」という原因を理由にしてしまうのですね。

 

別に、親に虐待された、という経験があったとしても

将来で愛する人ができて幸せに生きている人は

たくさんいます。

なので、過去のトラウマと言うものは存在しない。

と言うのですね。

 

そして、アドラー心理学において

何か悩みがあるときに、

提示してくれることがあります。

まず

 

「かわいそうな私」

「悪いあの人」

 

だいたい、悩んでいる時ってこの二つのどちらか、

あるいは両方で悩んでいるんですね。

・上司の厳しい命令に、従っているかわいそうな私

・厳しいことばっか言いう悪い上司

・一日中家事に育児に追われて、かわいそうな私

・家事も育児も手伝ってくれない、悪い旦那

 

などなど、たいていの悩みの根源は

この2種類を考えています。

ですが、その状況を、カウンセラーに相談したり

誰かに相談して「すっきりした」と言っても

根本解決にはならないのですね。

相談して、悩みがましになる、吐露したことで

スッキリするということはあるかもしれませんが。

じゃあ、具体的にどうしたら悩みが解決するのか?

というと、

「これからどうするか?」

を考えよ、と言うのですね。

これ、かなり!大事ですよね。

「あ~学校行きたくない・・・・」

「会社に行きたくない~」

「育児につかれた~」

「人生につかれた~」

などなど、あると思います。

そして、そのことの原因をいろいろ探っていても、時間の浪費で

原因探究をしていても、現実はあまり変わらないのですね。

例えば

「学校に行きたくない、、、、なんで学校に行きたくないんだろう、、

勉強がしたくないからだ。

何で勉強がしたくないんだろう。。。。

数学の先生が嫌いだからだ。。。。

何で数学の先生が嫌いなんだろう。。

自分が数学が苦手だからだ。。。。

何で数学が苦手なんだろう。。。。。」

 

と、原因を深堀していく、これも一つのカウンセリングの

手法ですが、これでは実は、原因探究にはいいかもしれませんが

未来を切り開いていくパワーが出てこないのです。

 

というか、一発解決するアクションプラがわいてきにくいのです。

では、「これからどうするか?」でいくと

「学校に行きたくない、、、、じゃあこれからどうするか?

学校に行かない!という選択肢もある。

とりあえず、1週間休む!」

となるかもしれませんし

「学校に行きたくない、、、、、じゃあどうするか?

学校に行きたい理由を探す。

やりたくない数学の授業だけサボって

好きな音楽の授業と、部活に行こう!」

などという、次のアクションが決まるのですね。

 

なので、頭の中で理由、原因探究をしているうちは

現実が動かないのですが

まずは行動する目的を作って実行する

これが、現実が動き出すので効果的です。

 

悩みは、足踏みしているところに付きまとってきます。

なので、動き出してしまうのですね。

ちょっとこれは、パワーがいります。

でも、ある意味冷静になって、感情を一旦置いといて

考えてみるのです。

どのように行動したら解決するか。

その一点を考えてみるのですね。

・気に入らない人いるのであれば、いったんぶつかってしゃべってみるとか

・家庭内で会話ができないのであれば、週末に旅行に出かけてみるとか(提案からでもよい)

・旦那の言っていることがわからなかったら、面と向かって話し合ってみるとか

・職場環境が気に入らないなら、それを上司に相談するか、いっそのこと転職するとか

 

 

何かしらの行動に結び付けてみましょう。

本当に、このアクションを起こすことで、

自分の中で考えているだけの状態よりもはるかに人生を加速させてくれるでしょう。

 

人生は不完全から始まる

 

アドラー心理学では、

「承認欲求を否定する」ことを言います。

承認欲求とは、だれかに好かれたい、褒められたい、認められたい

という願望です。

というか、だれでも持っていますよね。

 

良いことをして、褒められたい。

成果を出して、認められたい。

大なり小なり、私たちはこの承認欲求を絶対に持っていて

なかなか

手放すことは難しいと思います。

ですが、これを否定するんですね。

 

「あの人」の期待を得るために、人生を生きてはいけない。

ということです。

そして、アドラー心理学の大前提として

われわれ人間は子供時代、一人の例外もなく劣等感を抱えて生きている

と言うのです。

これは、じっくり考えてみたら、そうですよね。

 

何かしらの劣等感と言うものは、みんな持っていたでしょう。

これを、さらに生物学的に言うと、

人間は心の成長のほうが早く、それに伴っての

肉体の成長が一致していない。

と言います。

つまり、子供は手の届かない所のものを欲しいと思っても届かない、という

肉体的制限があります。

ですが、大人は軽々手が届いている光景を目にして

自らの不完全さを経験します。

 

これは、原理的に劣等感を抱かざるをえないのですね。

心の成長に体が追い付いていないのです。

ですが、これを悲観視する必要はありません。

 

何か足りない、できないことがあるから、努力をしてできるようになります。

肉体の例で言えば大きくなれば、問題は解決します。

 

文明もそうで、人間は馬のように速く走れないから、車を作りました。

鳥のように空を飛べないから、飛行機を作りました。

イルカのように泳げないから、羅針盤と船を作りました。

このように、人間は肉体的には弱い存在です。

 

ですが、心の面では他社とのつながり、コミュニティーを持ち

強固なつながりを持とうとするのですね。

肉体的な弱さゆえに、集団を形成し、社会を構築しました。

 

我々の力と文明は、弱さのたまものだということです。

 

そして、共同体感覚は、身に付けるものではなく

己の内から掘り起こすもの、だからこそ感覚として共有できるのです。

ここ、難しい感覚ですよね。

深掘りしていきます。

 

さらに、共同体感覚を持ちながら

承認欲求を否定するとは、どういうことでしょうか。

 

それは、人とのかかわり、コミュニティーは作って生きている人間ですが

その中で、

もっと褒められたい、という承認欲求は

満たされることが無いのです。

褒められることで幸せを実感する人は、もっともっと、、、

と言う風に、ある種の依存を生むのですね。

 

じゃあその解決策というと、

自らの意志で自らを承認する必要があります。

私の価値を自らが決定すること。

これが、自立と言います。

 

そして、ここで反論があると思うのですが

自分に自信が持てないからこそ、他者からの承認を必要としている、と。

ですが、それも

「普通であることの勇気」

が足りていないだけだと言います。

ありのままでいい。

特別な存在にならずとも、優れていなくとも

あなたの居場所はそこにある。

 

平凡なる自分を、その他大勢としての自分を受けいれるのです。

 

なんだ、結局自分のことは自分で認めろっていう話?

って思うかもしれませんが

これが、実は自立という教育上の、教育がめざすべき

在り方とも言えます。

 

そして、大切なのはここからで、

不幸を抱えた人間による救済は、

自己満足を脱することが無く、誰一人として幸せにしません。

まずは、

不完全から始まった人生を

自分で認め、自らが幸せをつかむところから、始めろ

とアドラーは提唱します。

そして、その幸せとは、自らが自分のことを認める

という立ち位置から始まるというのですね。

 

 

愛する技術

さらに深掘りしていきましょう。

ここから、「」そう、人生の本質の話が出てきます。

アドラーは

 

他者から愛されることは難しい。

けれども、他者を愛することは、その何倍も難しい課題

 

だと言います。

そこで、即座に反論があるでしょう。

恋愛の悩みとは、愛されること!

好きだと思っている人に、好きだと言われないから、恋愛の悩みは

絶えないのだと。

ですが、この「愛」にこそ、アドラー心理学の根幹があるのです。

 

愛することの難しさを知った時、アドラー心理学を理解する、

ひいては人生の指針を自ら見出すと言ってもいいでしょう。

さて、私たちは

「一人で成し遂げる課題」

「仲間たちと成し遂げる課題」

については教育を受けています。

 

一人で成し遂げる課題と言うのは、

歩けるようになったり、走り回れるようになったり、

できること、これは誰かに肩代わりしてもらうこともできない

課題の克服です。

 

また、20人のチームで何かを成し遂げる時も、仕事の上で、

あらゆるサポートを受けて課題を成し遂げる経験をします。

画家のような仕事、一人でやっているように見える仕事でも

そこには協力者がいます。

絵具を作る人、キャンパスを作る人、絵筆を作る人、

そして画商に購入者。

他者とのつながり抜きにして成立する

仕事と言うのは無いのですね。

ですが、二人で成し遂げる課題については、その技術を学んでいないのです。

二人で成し遂げる課題が、アドラーの言う「愛」です。

これは、二人が恋に落ちるとか、恋愛沙汰の話ではありません。

ここで、出てくる考え方として

人生の主語を切り替える

という手法が出てきます。

 

そう、二人で成し遂げるものは、

幸福感を高め、成し遂げることです。

我々はみな、幸せになることを願っています。

そして、幸福になるためには、対人関係の中に踏み出さなければ

なりません。

 

間の悩みはすべて対人関係の悩みであり

そして人間の幸福もまた、すべて対人関係の幸福である

 

アドラーは提唱します。

では、人間の幸福とは何なのか?

それは、

幸福とは、貢献感である

ということです。

 

みんな、私は誰かの役に立っている

と思えた時に、自らの価値を実感することできるのです。

与えよ、さらば与えられん

という考え方です。

 

つまり、利己的に私の幸せを求めるのではなく

また、利他的にあなたの幸せを願うのではなく

不可分なる「私たちの幸せ」を築き上げること、それが

愛だと言います。

「わたし」や「あなた」よりも上位のものとして

「わたしたち」を掲げる

人生のすべての選択について、その順序を貫くのです。

 

「わたし」の幸せを優先させず

「あなた」の幸せだけに満足しない。

「わたしたち」の二人が幸せでなければ意味がない。

 

それが、二人で成し遂げる課題と言うのです。

愛は、利己と利他両方を兼ねそろえるのでもなく

どちらも退けるものだと結論します。

つまり、人生の主語が変わる、からなんですね。

私たちは、生まれてからずっと「わたし」の目で世界を眺め

「わたし」の耳で音を聞き、「わたし」の幸せを歩み続けてきました。

全ての人がそうです。

しかし、本当の愛を知った時

「わたし」だった人生の主語は

「わたしたち」に代わるんですね。

 

全く新しい指針の下に生きること。

それは言い換えれば、幸福なる生を手に入れるために、

「わたし」は消えてなくなるべきだと言います。

それはつまり

「愛」は「わたし」からの解放なのです。

 

これをさらに深掘りしていきます。

人間は、赤ちゃんの時は世界の中心に君臨しています。

周囲のだれもが、「わたし」に気をかけてくれます。

それは、弱い存在だからこそ、周囲は助けざるを得ないのです。

弱さとは、対人関係において恐ろしく強力な武器になります。

 

子供は「弱さ」をことさらアピールすることで母親を支配します。

しかし、多くの大人たちもまた、

自分の弱さや不幸、傷、不遇なる環境、そして

「トラウマ」を武器として他者をコントロールしようともくろみます。

 

心配させ、言動を束縛し、支配しようとするのです。

そんな大人たちをアドラーは「甘やかされた子供」

と断じ、その世界観を批判しました。

ですが、子供はやはり身体的な劣等生から

始まるので「自己中心性」から人生は出発するのですね。

 

そうでなくては生きていけませんから。

そして、いつまでも世界の中心に君臨することはできず

成長とともに、世界と和解し、自分は世界の一部なのだと了解してきます。

それが、自立とは「自己中心性からの脱却」と言われれうゆえんです。

そして、その助けとなるのは

「愛」であり、「わたし」だった人生の主語を

「わたしたち」に変えていくことで

我々は愛によって

「わたし」から解放され、自立を果たし、本当の意味で世界を受け入れるのです。

つまり、人生の主語が「わたしたち」にかわること。

これは、人生の新たなスタートです。

 

そして、たった二人から始まった「わたしたち」は、

やがて共同体全体に、そして人類全体にまで

その範囲を広げていくのです。

これが、共同体感覚という、最強のメンタルとなるのです。

 

まとめ

さて、いかがでしたでしょうか。

人生の指針を持つ、ストレスを一手に解消するというテーマでしたが

人生そのものの考え方、生き方を提唱するアドラー心理学を用いた

話となりました。

 

「人間」というひとくくりの精神体を考えた時に、

いかに幸福に近づくか、というテーマにおいては

非常に有効な真理へのマインドセットです。

 

実際、意識転換と言っていいほどの大変革ですが

実際に、テーマとしてはアセンションに通じています。

 

つまり、自分という世界から、わたしたち

という世界、より意識が拡大した見方へと広がっていくわけです。

 

つまり、進化そのものです。

僕自身がアセンションの探究を約8年間続けてきて

「愛」への目覚めが、人類をさらなる高みへと推し進めてくれる

鍵だと気が付きました。

進化、アセンションとは何も崇高なものではなく、

当たり前の「愛」に気が付き、そしてこれからの

人生の主語が「わたしたち」になること。

そこに、もはやストレスというものは

存在しないのかもしれません。

 

幸福を共に実現させる、追及する

という姿勢ですから、全く新しい人生スタイル、

世界観を作っていけることになります。

アセンションと、アドラー心理学を学んでいくことで

価値観はどんどん変化するでしょう。

 

そして、人間という本質と、愛を理解することで

もっと幸福な生き方へとシフトしていけると思います。

僕も探究途中ですが

一人でも多くの人が、「わたしたち」、として

幸福をつかまれることを願います。

 

 

今回も最後までお読みいただきまして

ありがとうございます。

 

アセンションパン屋@マサト

http://hamunder.com/